Vigyan Bhairav Tantra

 

「注意を向けなさい。概念の彼方、把握できるものの彼方、実在しないものの彼方にあるものへ。それがおまえだ」

(Vigyan Bhairav Tantra, 86番)

 

ィギャン・バイラーヴ・タントラは、日常的な意識(ヴィギャン)が許容する範囲を超えて実在の世界の深みに入っていくための百十二の技法を、シヴァがその伴侶のデヴィに語りかける形式の詩文としてまとめたものです。Oshoはこの知られざる経典を高く評価し、これら百十二の技法のひとつひとつに関するインストラクションとコメンタリーを残しました。Oshoはそのコメンタリーのなかで、とくに禅ならびにグルジェフのメソッドとこれらの技法の親近性について語っています。

ヴィギャン・バイラーヴ・タントラが世界に知られるようになったのは、比較的に最近のことです。千崎如幻(にょげん)に師事して禅を修めたアメリカ人であるポール・レップスがカシミールでその伝承の流れに出会い、これを禅の精髄に通じるところがある経典として西洋に紹介しました。ポール・レップスは、ウィリアム・シーガルを通じてグルジェフの教えに親しんでいました。

Osho/グルジェフ/禅について:

Oshoは禅を高く評価し、たくさんの講話で禅について語っています。また、アメリカ政府によるOshoの不当逮捕にいちはやく抗議したのは日本の禅界の人物でした。グルジェフは禅について語っていませんが、グルジェフの主要な弟子たちはグルジェフのワークと禅との親近性を強く認識し、グルジェフ・ファウンデーションをはじめとする世界の主要なグルジェフ・グループでは、着座でのガイデッド・メディテーション("Sitting")がワークの一環として取り入れられています。この橋渡しをしたのはアメリカの雑誌編集発行者・実業家・画家であるウィリアム・シーガルでした。彼はポール・レップスといっしょに1950年代に日本を訪れ、のちにカネボウの顧問となり、たびたび日本に滞在しました。彼はウスペンスキーとグルジェフから学んだ後、鈴木大拙の紹介を受けて日本の複数の禅寺で修行し、中川宗淵(龍沢寺)、小堀南嶺(大徳寺)、朝比奈別峰(円覚寺)など、彼が親交を結んだ禅の老師らは、グルジェフの教えと禅の親近性を認め、特にグルジェフ・ムーヴメンツに強い関心を示したと伝えられています。日本ではじめてグルジェフ・ムーヴメンツを知り、体験したのは鈴木大拙でした。また、グルジェフ・ファウンデーションの創始者であるマダム・ド・ザルツマンは、1966年、禅への関心から鈴木大拙と中川宗淵に会うために日本を訪れています。

ヴィギャン・バイラーヴ・タントラ 全文対訳

スタジオ・パインウッド 秋

オーディオ・アーカイブ

Osho Tara Meditation Centerは、ヴィギャン・バイラーヴ・タントラの百十二の技法に関するOshoのインストラクション、コメンタリー、質疑応答の録音を収めた完全なアーカイブ(一部オリジナルテープが失われているものを除く)を作成し、プログラムのなかで利用しています。一部の技法については、具体的なインストラクションを聴きながら、その場で実際に試みることもできます。

ィギャン・バイラーヴ・タントラに関するOshoのコメンタリーの日本語訳(全十巻)は、市民出版社から刊行されています。

 


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